TOP > バックナンバー > Vol.9 No.6 > コラム:国宝が世界遺産になるということ

コラム

国宝が世界遺産になるということ
鈴木 央一
Hisakazu Suzuki
本誌編集委員 / 自動車技術総合機構

 本稿を書くにあたり、内容がエンジンとは無関係な話題になることをお許しいただきたい。
 夏休みに、家族で日光に行った。私は中学1年にバス遠足で行って以来久しぶりなのだが、妻と子供二人(高1、中1)は初めてだった。まず、それが意外だった。校外学習や修学旅行で1回くらいは行ったことがあると思っていたからだ。その違いは地理といっていいだろう。私が中学時代に行った、というのも当時茨城県新治郡桜村(現つくば市)の中学校に通っていたので日帰りの遠足で行けたのだが、南関東だとそれは距離的にきつい。そういうわけで「初」日光の妻と子供と行くので、まずは「鉄板」というべき、東照宮と華厳の滝を観光することにした。そのうち東照宮の話。
 東照宮といえば何といっても陽明門。昔見たときも、その華やかさ、豪華さ、美しさに感動して絵葉書を買って帰った記憶がある。今回みるとそのとき以上に鮮やかだった。平成29年に「平成の大修理」が終わったところ、ということのようだ。それと今回は宝物館で「予習」ができた。そこでの説明で、門に人物像が多く飾られていて、その人たちが皆楽しそうにしているところに注目、といった内容があった。これまで門全体を見て美しいと思ったのに対して、全体から見るとごく小さいそれぞれの彫刻まで注目しなかった。それを知ってみると確かにその通りだった。東照宮の創建時は戦国時代が終わったばかりで、まだ人々の意識に「泰平の世」という感覚はなかったのではないか。しかも「武」をもって天下に上り詰めた家康の墓所を飾るのに、強さや勇ましさを排して楽しさや穏やかさに満ち溢れているのだ。これはすごいことではないか。


 一例を図1に示す。竜に仙人らしい男性が乗っている。彼の顔を見てほしい。今の感覚でいうならオープントップのスポーツカーに乗って、その加速感や爽快感に戸惑い、驚嘆している、といった態である。戦国時代までであれば、竜に乗った人物としたら、怒りの形相で悪と闘う、といったイメージになるはずだ。それが戦国時代が終わって間もないこの時期に、生命への脅威から解放されて近代スポーツを先取りしたような意識で作品を作り出しているのだ。こうして作品になるからには、構想を練る人、発注する人、製作する人、それを組み上げる人など多数の人が関わるはずだ。そのすべての人がその意識を共有できていないと、陽明門として成り立たない。つまり誰かひとりの意識にとどまらない、まとまった人の意識、つまり文化としてそれが共有されていたはずだ。これこそが、つまり平和で、楽しさやわくわくするような興奮を追い求める精神構造こそが、誇るべき日本文化ではないかと思った。それを400年前から公的建造物の形にしている民族はそうそうないはずだ。それこそが国宝であり世界遺産にふさわしい価値をもたらしているのだと。

 そんな感動を覚えたところで、陽明門を後にして階段を下りると右に本地堂がある。鳴き龍が有名だ。行列ができていてそれに加わる。待たされた後40~50人ほどの集団で「龍」の下へ向かう。より正しくは、説明する僧が龍の下にいて、その周りの柵の外を取り囲むように、である。すると拍子木を打って「鳴き」のデモをするにあたって、その「鳴き」が聞こえるように、付近の干支の神様への参拝などで柏手を打つことなく音を立てるな、とのこと。それはそれでいいのかもしれない。確かに子供たちは違和感を持たず、「ピロロロロ」と聞こえるのを喜んでいた。(ちなみに、客の中に南米系の家族連れがいたところ、僧が日本語の後にスペイン語で「ラ・ドラゴン・・・」と説明したのには恐れ入った)
 だが、それでいいのか・・・昔中学生の時にここに来た時のことを思い出した。生徒何人かで代わる代わる竜の下で思い切り柏手を打って「鳴き」を文字通り体験した。自分が打った柏手で竜が「鳴いた」ことは印象強く記憶に残っている。そう上手くいかない場合は「もう一回」とか、「お前へたくそ」とか言い合った、のどかに和気あいあいとした雰囲気で「校外学習」したものだった。40年近くを経て世界遺産に指定され、観光客が激増して、維持費などの確保はおそらく容易になったことだろう。だが、のどかさというか自分たちの手に届く親近感、主体的に体験する楽しさは失われた。「鳴き」を聞く体験をできる人はけた違いに増えた半面、各々の記憶に残る度合いは薄まるのではないか。これも世界遺産になって日本の日光から世界の日光になったがゆえといっていいだろう。うちの子供たちが30年40年経って「鳴き」を記憶していることはないだろうと思う。私自身は古き良き昔それを経験しておいてよかった。
 新たに得たものと失ったものを感じた東照宮再訪だった。