はじめに
社会に出てから時間が経ち、元号は昭和、平成から令和へ変わった。その間、自動車にかかわる技術の変化を多く見てきた。機構的に実現性がないコストが高く採用できないものが、標準の技術となり、更なる性能向上の要求で新しいものに置き換わり、一方で筆者が生まれる前から第一線で活躍している技術もある。
百年に一度の変革期と言われる中、自動車と生活の面から、変わるものと変わらないものの一断面を考察した。
もの作りを目指す,若いエンジニアのみなさまの一助としたい。
変わったもの
- ガソリンエンジンの燃料供給装置は、入社当時はキャブレータ方式が主流であったが、吸気ポート内への電子燃料噴射、シリンダ内への直接燃料噴射へと変遷した。古い装置よりも同等以上の機能を付加して技術価値を高め、性能の改善とコストの低減に寄与できたためである。
- 2018年11月のコラム“どこでもドアは自動車に代われるか?”で、『通勤、出張や旅行含め自動車や電車等の移動手段は不要になってしまうのであろうか』と書いた。テレワークはわずか2年足らずで、実施可能な業態では普通となった。仕事のかなりの部分が移動不要なテレワークで代替され、通勤や出張の頻度が激減した。当初はコロナ禍対応という面が強かったが、移動の時間を読書や、趣味などの私生活に振り替られる楽しみに気づかされた(もちろん弊害も多いが)。環境や価値の変化に対して、技術はより多機能なもの進歩し続け、人々は仕事より生きることの喜びに価値を変化させ始めている。
燃料噴射装置はモータだけで車を駆動する場合、機能的な面からは電池に代替可能という見立てになるが、この議論には多様性を含めた技術以外の視点が必要であろう。
変わらないもの
- 自動車のフロントガラスの雨水除去はワイパー、前輪で操舵することは長い間変わっていない。学生時代、設計はボルトに始まりボルトに終わると設計の要諦を教えられた。締結の基本はいまでもボルトである。これらは今後も他の技術で代替されることはなさそうだ。機能を実現する機構や方法が本質的であることが、代替手段がない理由であろう。
- 幼少のころから通った床屋に約二十年ぶりに立ち寄った。店の中は昭和のままで変わらなかった。マスターと話をすると年月の経過がなくなり、小学生の自分がそこにいた。過去に対する情緒的感覚は変わらないものと感じた。
自然定数である重力定数Gの値は変わらないものと認識されているが、これはこの宇宙に限られ、ほかの宇宙では異なることも推測されている。技術や人間社会でも前提が変わってしまうと不変なものは存在しないのかもしれない。
おわりに
- ボルトの例を挙げたが、物(工業製品等)を設計する基本(材料、機械、熱、流体力学等)は、先が見通せない世の中にあっても必須である。たとえ設計対象が様々に変わったとしても、これら学問を基本とした実務経験は、技術の本質を見分ける能力となる。将来が不確実な社会において、変化に対応できるエンジニアの要諦であると認識して、今取り組んでいる勉学や技術に取り組んで頂きたいと念じる。
- 注目されている大きな変化はカーボンニュートラルに向けた急激な動きである。単純にエネルギー源の代替と捉えられる面も見受けられるが、環境以外にも人口問題や社会インフラの劣化等問題は山積しているのが実情だ。カーボンニュートラルが実現した社会は、人々が期待している社会なのかの視点/論議が足りていないと感じるのは、筆者だけの危惧であろうか。
最後に、座右の銘としている、技士道 十五カ条(1)から二条を引用させていただく。
一 技術に携わる者は、「大自然」の法則に背いては何もできないことを認識する。
十四 技術に携わる者は、技術の結果が未来社会や子々孫々にいかに影響を及ぼすか、公害、安全、資源などから洞察、予見する。
【参考文献】
(1) 西堀栄三郎著 “技士道 十五カ条” 朝日文庫