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コラム

清水先生
”地球丸”の沈没を救うには?
How to save the “Chikyu-Maru” from sinking
清水 健一
Ken-ichi Shimizu
編集委委員 / 早稲田大学 環境総合研究センター
JSAE ER Editorial Committee / Waseda University Environmental Research Institute
1.目に見えてきた地球温暖化の影響

 昨2023年の秋に、足腰の衰えを感じた。散歩が出来ない長い夏があったからである。今年は早々と6月から、庭の草取りも難しい日々が始まってしまった。昨年の失敗に懲りて、大規模商業施設での買い物の際には、買い物前にクーリングシェルターとして利用させていただき施設内散歩の実施に心がけているが、すれ違う同じ目的の人に出会う機会が増えていると感じている。
 未経験の局地的豪雨について”線状降水帯”なる呼び名を初めて認識してから既に10年ほど経っていると思うが、最近はその頻度が高くなったと同時に規模も大きくなっているように感じる。先達が築いてきた治水対策は従来の気候風土に対応したもので、気候風土が従来と大きく変わりつつある今日、これにあった治水対策が新たに求められるのではないだろうか。これは地形についても同様で、大きな土砂崩れは新たな気候風土に対応するための自然現象なのかも知れない。
 地球の自然が微妙なバランスの上に成り立っていたことから、温暖化の影響は単なる気温上昇では済まなく、新たなバランス状態(もしあれば)に移行していくので、各地の自然がどのようになるかは、単純ではないだろう。各地での異常気象は、過渡状態でしかない可能性が高く、"沸騰”と表現されるほどの変化が出ないうちに元のバランスに戻す努力が必須だったのだろう。既に、地球丸は沈没の危機にさらされていて、沈没を待つだけなのだろうか?

2.CO2排出量と経済

自然エネルギーの利用への努力がなされているが、取り敢えず消費エネルギーの総量の変遷を見てみよう。の(a)は、1973~2022の我が国の部門別のエネルギー消費量の推移(2024年版のエネルギー白書)である(1)。1970年代の二度のオイルショック後と2000年代以降の原油価格の高騰期に省エネ努力の効果が出ているが、原油価格の問題がなかった期間(の中央部)は産業部門の努力にもかかわらず消費量がほぼ単調に増大しており、制約無しに経済活動に任せれば消費量は増大することを示しているととれる。逆に、努力をすればその効果が得られることも確認できる。(補助金や税制の効果も含めた経済活動の結果であるので、単純化は出来ないが・・・。)
 の(b)は、1972年以前の業務他部門と家庭部門を併せて民生部門としていた時代からの部門分けで継続集計していたもので、高度経済成長期に大幅に消費量が拡大していることがわかる。今後、いわゆる新興国が経済成長を果たし、公平に高い生活環境を享受できた段階では、このステップ状の消費量拡大が頻発することになる。
 二昔以上前の海外でのEV関連の会議での経験であるが、10時のお茶の時間に、人口が多く、国土も広い中国でモータリゼーションが当たり前になったら地球環境への影響は甚大だろうとの話題になったが、同じメンバーでの昼食の席では、中国の自動車市場をどこの国が取るかと言った国単位の経済活動の話題になった。てっきり環境悪化を真剣に危惧しているものと思ったら、環境問題より経済活動のほうが重要という様な話になってしまい、非常に奇異に感じたのを覚えている。しかし、振り返ってみると、温暖化対策としてのEV化関連の研究でも、最もキーである廃棄まで含んだライフサイクルでのエネルギー消費/収支までを議論する以前に、経済性と利便性が現状を下回らないことが大前提とされてきたと感じる。

3.温暖化防止の可否を左右するのは科学技術ではない

 しかし、”沸騰”状態である現段階は、効果的な手法の研究開発に期待しながら経済活動に任せた従来の消費を継続出来るステップを既に通り越しており、経済活動より、既存の技術でできるだけ消費エネルギーの削減に重点を置かなければならない段階であろう。そのためには、経済的な尺度に代わる(又は補正する)、環境負荷に基づいた新たな価値観の共有が重要で、この価値観(またはスケール)を”地球丸”上の全員が共有することが必須であるが、国連のルールですら守られない現状を変えることが出来るかが鍵となるだろう。
 温暖化対策より自国の経済を最優先する主張がなぜ散見されるのかは興味深い。人の脳は選択増幅回路とみることが出来、同じ情報を見聞きしても、聞き手の持っている知識や興味によって認識される度合いが異なるので、結果として人々の脳に蓄積された知識には原理的に偏りが生じやすい。SNSに代表される様々な情報過多が、この偏りを急速に拡大しているのかもしれない。この仕組みによって、科学技術の知見を完全に無視した”非常識”も、あるグループ内では常識となるのだろう。
 温暖化対策には、技術分野で得られた知見がフィルターを介さずに正しく理解されることが、一丁目Ⅰ番地であるので、技術者の努力と同様(又はそれ以上)に、前述の”偏り”などの社会システム現象の科学技術的な解析や解決手法などの研究も必須であろう(民主主義の原点が、”多数決”ではなく、相手の主張を正しく理解した上で策を議論をする(真理の探究?)ことであるので)。また、技術の細分化・深度化が進むにつれ、広い技術分野を俯瞰できる技術者の必要性が話題となって久しいが、技術者には更に社会全般をも俯瞰する努力が求められると考える。

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