TOP > バックナンバー > Vol.11 No.8 > 水素エンジン
水素エンジンの技術開発の歴史は長く、かつてすべての自動車OEMが開発競争にしのぎを削ったといっても過言ではない。やがて開発の中心は水素燃料電池自動車へと移り、水素エンジンの技術開発は潰えたかのように思えた。しかしながら、世界的な脱炭素への潮流とともに、再生可能エネルギー発電が主力化しつつあり、エネルギーキャリアとしての水素の重要性が再認識されている。できるだけ早い社会実装が望まれ、運輸部門のみならず、あらゆるセクターにおける水素利用手段として水素エンジンが求められている。ここでは、SIPエネルギーキャリアにおける水素エンジン開発を中心に紹介する。
国内外において、脱炭素化に向けた動きは待ったなしの状況である。政府はグリーン成長戦略を策定し、図1に示す14の重要分野に対し民間企業へ大胆なイノベーションを促している。14分野のうち、水素やエネルギーキャリアの候補であるアンモニアを燃焼技術によって活用する分野は、②、③、⑦、⑧、⑩の5分野を占め、自動車産業等で培われてきた燃焼技術が大いに活用されるであろう。そんな中、2021年5月、トヨタ自動車がスーパー24時間耐久シリーズ2021のレースに投入したことで再び脚光を集めたのが水素エンジン自動車である。実はここ数年、SAEなどで水素エンジンに関する論文発表が増えており、Pauerらは(1)排気量2Lの直列4気筒エンジンに直接噴射とポート噴射を併用した台上実験において、BMEP 2.4MPaを超える高負荷運転を実現しており、1.2MPa以下ではNOxを10ppmまで抑制し、小型の水素エンジン技術は着実に進歩し続けていた(図2)。
産業技術総合研究所(以下、産総研)は、川崎重工業、前川製作所、東京都市大学、岡山大学、早稲田大学、海上技術安全研究所とともに2014年より戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)エネルギーキャリアに参画し、図3に示すような水素サプライチェーンをイメージした水素エンジン開発に取り組んだ。水素エンジンの適用先として、液体水素の揚荷基地、港湾エリアの化学プロセス等が想定され、発電電力10 MW級のガスエンジンを研究対象とした。川崎重工業は全体システムを検討する机上計算を行い、前川製作所と早稲田大学は液体水素の昇圧ポンプを、海上技術安全研究所は高圧インジェクターの開発を担当した。産総研、東京都市大学および岡山大学は単気筒エンジン試験機において、水素エンジン燃焼の実験的解析や新たな計測技術の開発を担当した。
一般に水素エンジンは、逆火やノック等の異常燃焼が発生しやすく、また消炎距離が短いことによる冷却損失の増大やNOx排出が課題である。産総研では、図4に示すように、排気量1.3Lの単気筒エンジンの中心部に高圧ガスインジェクタを挿入し、先端には多噴孔型のノズルチップを設け、水素を筒内へ直接噴射して供給した。エンジン回転数は1000rpmまで定格回転数(2600rpm)より低下させて水素燃焼を評価した。水素は量論混合比よりもリッチ側で燃焼速度の最大値を持つため、酸素濃度の低下による燃焼の緩慢化を避けられることなど、水素特有の燃焼性を利用して高効率・低NOxの両立を狙った。例えば、大量EGRによって酸素濃度を13%程度まで低下させても、点火遅れや燃焼速度を大きく悪化させることなくNOxを低減でき、熱効率や燃焼安定性が犠牲になることもなかった(2),(3)。また低圧縮比・高膨張比化を行うことで、燃焼温度やNOxを増加させることなくエンジン負荷を増すことが可能となり、最終的には極低NOxを維持しつつ供試エンジンの最大負荷レベルのIMEP 1.64MPaまでの運転ができた。なお、図5のように、エンジン内の水素分布をCFDで解析すると、エンジン実験で用いた小孔多穴ノズルにおいては、水素の過度な分散が抑えられ、エンジンヘッド付近に存在する高濃度の水素が燃焼したことがわかった。
重量車、定置発電機、船舶、建設機械などに用いられてきた大サイズエンジンは、すぐには燃料電池には置き換えることが難しく、大サイズ水素エンジンの開発・実用化が急がれる。水素エンジンの高出力化には、エンジン筒内圧力を上回る高い圧力で筒内直噴できるインジェクタが有用であり、大サイズエンジンにとっては必要不可欠なデバイスといえる。制御性と耐久・信頼性を兼ね備えた高圧インジェクタの出現を切に願うところである。
Taku TSUJIMURA (National Institute of Advanced Industrial Science and Technology)