TOP > バックナンバー > Vol.13 No.5 > ついに見つけた新燃焼と燃料
現在のF1レギュレーションは内燃機関だけではなく、MGUなどのエネルギー再利用のシステムを持つなど複雑化してきている。しかしながら、それらに対応しつつ内燃機関の軸出力がレース車両として大きな影響を持つことは今も変わらない。本稿では2015年の再参戦以降、苦戦を続けていた状況を打破した新しい燃焼とそれとともに進化させた燃料について解説する。
現在のレギュレーションではFormula1(以下F1)用のパワーユニット(以下PU)は、内燃機関(以下ICE)のみで構成されているわけではなく二つのモータジェネレータ(以下MGU)と組み合わされ、より複雑な構成となっている。またICEに供給できる最大燃料流量は100kg/hと決まっているため、ICEの出力向上=ICEの熱効率向上ということになる。熱効率向上は手法により排気エネルギーの減少を伴うため、排気エネルギーを利用するMGU-Hの回収エネルギーが減少し結果的に競争力が低下してしまうことがある。ICEの熱効率向上とともにMGUが利用できるエネルギー量を確保するためにはICE、過給機、排気断熱構造など全方位での改善が必要となる。とはいえICE出力の向上が競争力の向上の基本であることは変わらないため、以降でICEの熱効率向上について述べる。
新燃焼の発見ICEの熱効率を向上させるためには比熱比の増加により理論熱効率が向上し、混合気の希釈率、筒内分布、燃焼速度などの条件によってはノッキング発生が抑制され、燃焼重心の進角が可能となるリーンバーン運転が重要な要素である。ただしリーンバーン運転は混合気が希釈されているため、着火性の悪化による燃焼安定性の低下、主燃焼速度の低下による時間損失、燃料が燃え残る未燃損失の増加が大きな課題となる。これらの対策として2018年モデルまでの従来燃焼では副室プラグの採用、燃焼室形状の変更、インジェクタ噴霧の改良などで対応をしてきたが燃焼速度の低下については一定の改善は得られるものの限界が存在し、混合気の希釈率の制約となっていた。この課題に対し、2018年シーズン途中に燃焼室の一部の形状のわずかな変化によって、これまでとは明らかに異なる燃焼形態が発生することを発見した。この燃焼形態は予め予測されたものではなく、試験を開始した直後からこれまでの経験の延長線上からは考えられないような速い燃焼速度と高い出力の値が出てきたことから、慌てて何が要因となっているのかを探るような状況であった。結果的には単気筒エンジンの準備段階で本来組付けるはずのものとはわずかに寸法が異なる部品を組付けたことが要因であることが判明した。ただしこれは単なる偶然ではなく、良い結果がなかなか得られないような困難な時期にもあきらめることなく繰り返し膨大な数の設計と試験を繰り返したことにより得られた結果であると考える。従来の燃焼形態では小さな副室に囲まれた点火プラグでの点火を起点に火炎伝播によりボア周辺に広がっていく燃焼形態だったものが、新しい燃焼では点火プラグでの点火を起点とした火炎伝播が開始されると同時にボア周囲の混合気が火炎伝播を待つことなく自着火する。この自着火は自着火部位の混合気形成、圧力、温度が前出の誤った寸法により自着火に適した方向へ変化し、副室からのジェットの圧力のアシストが加わることで発生している。これにより従来燃焼に対し主燃焼速度が各段に速くなり希釈率を増加させつつ時間損失、未燃損失の低減が可能となりICE熱効率が大幅に上昇した。単気筒エンジンを用いた従来の燃焼と新燃焼の可視化画像を動画1に、燃焼の過程を説明するものを図2に示す。また図3に従来燃焼および量産車の全開出力時の筒内圧力と新燃焼を比較したものを示す。従来燃焼に対し筒内圧も大きく上昇していることがわかる。
(a)従来燃焼
(b)新燃焼
Movie. 1 従来燃焼と新燃焼 可視化
新しい燃焼形態の発見とそれに伴う大きな出力向上が得られたが、この燃焼によってあらたな課題が発生しすぐに実戦投入というわけにはいかなかった。特に下記のものが課題としては大きいものであった。
(1)自着火による燃焼室内の局所的な圧力、温度上昇による部品の変形とそれに伴う新燃焼の消失
(2)自着火による燃焼室温度の上昇に伴う、サイクルごとの燃焼速度の急激な短縮およびプレイグニッションの発生
(1)については初期仕様のエンジンでは運転して数分もたたずに新燃焼が消失し、大幅な性能劣化が発生した。部品の検査の結果、自着火による局所的な圧力および温度の上昇が構成部品の変形を引き起こし、新燃焼発現のキーとなる要素が失われてしまうことがわかった。これに対し材質の見直しや形状の見直しなどを繰り返すことによって数分で焼失していたものを長時間にわたりキープすることが可能となった。新燃焼を継続することができるようになると図3に示したような非常に高い筒内圧力により別の部品がつぎつぎと課題を抱えるようになり,それらに対してもひとつひとつ設計部門、材料部門、テスト部門が一丸となり解決をしていった。
(2)は、エンジン回転数,点火時期など各運転条件が一定の状態をキープしていたとしても、自着火により局所的に温度が上昇することで自着火が促進され急激に初期燃焼の短縮が発生する事象。点火時期が一定でも自動的に燃焼タイミングが1サイクル毎に勝手に進角していくような状況で最終的には過進角からのヘビーノッキングや点火前に燃焼が始まってしまうプレイグニッションとなる。この状態は運転条件が一定でも出力値が刻々と変化してしまうドライバビリティの課題に加え、ヘビーノッキングおよびプレイグニッション時の強大な筒内圧力や衝撃波により各部が破損してしまう。この課題に対して,従来からノッキングや失火などの監視に用いている各気筒に設置された筒内圧センサを利用し、刻々と変化する筒内の燃焼状態(燃焼速度,燃焼タイミング)を監視し、わずかな変化の予兆を検知し点火時期、燃料噴射タイミングなどを1サイクルごとに調整を繰り返すことで安定化させることができるようになった。
信頼性の向上と燃焼制御の見通しのたった2018年終盤に初めて新燃焼を実戦投入した。この時点では自着火の発生自体がまだやや不安定だったこともあり、設定としては安全マージンを大きくとり出力を一部犠牲にしていた部分もあったが、ドライバーズタイトルを獲得した2021年シーズンにはICEハード仕様変更による自着火の安定化に加え,監視制御自体の精度向上,監視対象の見直しなどにより本来の出力ポテンシャルに近づけることができるようになっている。
燃料流量制限のレギュレーションにより、燃料は第一に低位発熱量を大きくとり、次にアンチノック性を向上させ圧縮比の向上につなげることが大きな開発の方向性である。低位発熱量を大きくする事を考慮すると、アルコール類や芳香族類の配合を抑えた上で最大限のアンチノック性を達成しなければならない。
図4に示すように燃料による性能向上は開発開始から活動終了までの間で10%以上となったが、低位発熱量(LHV)は早々に頭打ちとなり熱効率を向上させる事を中心に開発を行ってきた。一方、アンチノック性を高めた燃料を用いると着火遅れが長くなり、その結果副室が十分に機能しなくなり主燃焼が遅くなってしまう傾向にある。その影響で2018年には燃料による出力改善が頭打ちとなったが、高速燃焼の登場によりリーンによる燃焼安定性が大きく改善し、よりアンチノック性を高める配合も可能となった(図4:2019年の新燃料導入)。
高速燃焼に適した燃料成分の選択に当たってはF1のノッキング発生時の筒内温度、圧力環境を初期条件として化学反応シミュレーションを行い、より着火遅れが長くなる成分を選択した。図5に示す通り多くの燃料成分はガソリンのアンチノック性の代表的な指標であるRONに応じて着火遅れが長くなる傾向にある。しかしながら幾つかの成分はF1のノッキング環境下においてRONから予測される着火遅れより高いアンチノック性を示すことがわかった。このように特定のエンジン燃焼において最も適した成分を選択的に配合する事で性能を高めることが可能である。F1の燃焼開発においてはエンジンハードの進化に応じた燃料の開発、逆に燃料の進化に応じたエンジンハードの開発の両側面から常に開発を続けていくことが競争力を高めるために重要である。
一方、今日の内燃機関においては環境要求の高まりから持続可能な燃料の利用も研究され、自動車レースの世界においても導入が進んでいる。将来を見据えると性能と環境性能の両立が必要であり、高速燃焼に適した燃料においては第2世代バイオやefuel等の先進的な環境燃料に置換可能なことも重要な要素であった。2021年の最終年において、燃料の主成分を穀類の非可食原料を元に製造し、燃料の約2割を持続可能成分としたものをレースで使用した。
本活動により自動車レースが持続可能燃料の研究活動のプラットフォームとして活用可能である事を示すことができたと考える。
図6に示すように新燃焼によって競争力を大きく向上させ2021年にはドライバーズチャンピオンを獲得することができた。2015年からのF1参戦再開後の数年間は競争相手と競いあうような状況からは程遠く勝利というものがかなり遠いものに思えていた。そのような状況の中で偶然から生まれたものとは言え新燃焼の発見というひとつの出来事をきっかけに、必ずそれをものにしようと組織内の各領域が同じ方向を向き、それぞれの役割をしっかりと全うしたことで勝利が現実のものとなった。苦しい中でもあきらめずに改善に向けて挑戦し続けることがいかに重要であるかを改めて実感する事象であった。
コメントを書く