TOP > バックナンバー > Vol.14 No.6 > 1960年代(技術の発展期)
1960年代に入ると、高回転、高出力化に向けて、小型はE型、J型、L型、中大型はP型、Y型等とエンジンバリエーションを急速に拡大していった(表1)。
1966年にプリンス自動車と日産自動車が合併し両者の技術が融合することとなった。プリンス自動車の合併までの経緯とそのエンジンの系譜を図1に示す。
本章では前章に引き続き'60年代の代表エンジンであるG型、L型、Y型エンジンを紹介する。
水冷直列4気筒 OHV セドリックG30型搭載。Bore 80.0mm × Stroke 74.0mm、排気量:1488cc、最高出力:71PS/5000rpm。
開発の背景:
経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれた時代を迎え、首都高、東名神の開通に伴う交通インフラの整備が進む中、貿易の自由化に対応可能な、より大きな排気量の必要性,モータリゼーションを支えるエンジンの期待に応えるべく開発された。小型車枠の拡大や、モータースポーツの需要に応えるべく排気量のバリエーションを次々と増やした。
設計の考え方:
オースチンの技術を吸収し、独自の工夫を織り込んだエンジン。エンジンの中心線、センターラインから、日産が独自で計画を立てて作ったブラインド・ニューエンジンである。
特徴は、頑丈且つ軽量なディープスカート式鋳鉄シリンダブロック、OHV機構とウエッジ燃焼室によるカウンターフロー式吸排気系配置。
誕生から20年以上も第一線で活躍し日産の屋台骨を支え続けた。その間の絶え間ない改良を行い高性能な派生エンジンを多数生み出したベースエンジンである。
G型エンジン派生エンジン(図3、4)
G型⇒H型⇒R型(シルビアCSP311型搭載)⇒H20型⇒U20型(フェアレディーSR31型搭載)⇒FJ20型(スカイラインDR30型搭載)。
水冷直列4、6気筒エンジンSOHCシングルキャブ仕様。 ブルーバード510型搭載。Bore 85.0 mm × Stroke 78.0 mm、排気量:1,770 cc、最高出力:105 PS / 6,000 rpm。
開発の背景:
1960年代の国内市場の急速なモータリゼーションの進行、北米への急速な進出拡大への対応が必要となった。
設計の考え方:
大量生産に適した近代的な中型エンジンとして、4気筒と6気筒のモジュールエンジンとした。
多くのモジュールエンジンを可能としたポイントは、簡便なOHC機構。燃焼室はウエッジ形(図6)。フロントカバーにウォータポンプ、オイルポンプ、ディストリビュータ、ウォータインレットを集中させた構造体としシリンダブロックを簡素化した。
1970年代の排気規制対応、電子制御化、ターボ仕様の追加など多くの改良が継続的に実施され、1980年代まで長きにわたり日産乗用車の主力エンジンとして活躍した。
水冷 90°V形8気筒ガソリンエンジン、OHV、4バレル気化器。 150型プレジデント搭載。Bore 92.0mm x Stroke 75.0㎜、排気量:3988cc、最高出力:180PS/4800rpm、圧縮比: 9.0
・シリンダブロック:鋳鉄製モノブロック,デイープスカート形
・シリンダ ヘッド:アルミ合金鋳造製,ウエッジ形燃焼室
・弁、弁機構:ボールピボット式ロッカタイプOHV、ハイドロリックリフタ使用、サイレントチェーン駆動
・クランクシャフト:5ベアリング、4ピン形、鍛造鋼製
大型高級乗用車プレジデントの企画に対応するために新たに開発された日産初のV形8気筒ガソリンエンジン。
当時、米国車、欧州車で高級車に多用されているV形8気筒とし、出力性能、静粛性、信頼性の高い目標を持って開発された。V8で問題となる補機(オイルポンプ、ディストリビュータ、フューエルポンプ)のレイアウトは、当時最新のフォード新型V8のレイアウトを参考にしてフロントカバーに集中して取り付ける方法とした。これはL型にもつながった。
1975年には、日産初の昭和50年排出ガス規制に適合するなど常に日産の技術的なトップランナーとして1980年代まで活躍した。(第2報の排気対策で詳細を紹介)
当時の開発者のコメント:
6気筒3ℓの上級として、8気筒4ℓは自然だった、ボアは92㎜と大きく、ショートストロークとなった。V8としてはパッケージングの点から出力を出しやすい点でも普通だった。
初物をたくさん使った。オイルタペット:メンテフリーのためサイレントチェーンによるカム駆動、AT専用のチューニングも当時は珍しかった。電気式オートチョーク4バレル気化器などが初物だった。
出力の表記は発売当時のままとした。
1kW = 1.35962[PS](仏馬力)
1kW = 1.34102 [HP](英馬力)
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